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KIKO
2022年4月〜スリランカ駐妻1年目
2018-2020年はバングラデシュにいました
海外営業→秘書→無職2姉妹の母
大福・ごま汁粉・チーズケーキが好きです

【緊急帝王切開】痛み、状況、感想など

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目次

緊急帝王切開で出産しました

2月20日の深夜、40週1日で無事女児を出産いたしました。

計画無痛分娩を予定していましたが、入院日、子宮口を開く処置をした深夜に赤ちゃんの心拍が急に下がり、急遽緊急帝王切開をする流れとなりました。

子宮口の処置をしたときには「まだまだ産まれる気配がないですね」と言われていました。赤ちゃんが全然下がって来ていなかった様子。明日ちゃんと産まれてくれるかなぁとぼんやり考えながら眠りについた夜、赤ちゃんの心音チェックがあったのですがなかなか終わりませんでした。仰向けで寝ているのが原因なのか、時々お腹がものすごく張って、痛みに耐えるために深呼吸をしたり、相部屋のおばあちゃんがゲホゲホ咳をしているので大丈夫かなぁなど思っていたら急遽分娩室へ運ばれました。

ざわつく分娩室

医師と思われる女性の先生に内診してもらい、全然赤ちゃん降りていないと言われ、周りがざわついていたのですが向きを変えながら寝ていると赤ちゃんの容体も落ち着き、私の痛みもなくなって来ました。このままだと普通分娩になるかもなので、朝まで落ち着いたままで無痛分娩の処置をしてもらいたい・・!と思っていましたが、30分ほどすると再び助産師さんたちが来られて、何やら医師を呼び出している様子。

深夜に家族を呼ぶ

分娩室から手術室へ場所を変え、助産師さんから「家族を呼んでください」と指示が。

これから出産なのか?よくわからず深夜1時半に夫に電話すると、奇跡的に繋がる。(夫もまだまだ産まれないだろうとお酒を飲んでたとのことなので、1時間前に状況報告のLINEを入れていたが全く既読にならなかったので)

「とりあえず病院来てということなんやけど、、」と曖昧な説明しかできずにいると、助産師さんがはっきりした口調で「今から来てください」と説明してくれました。同様に母にも電話。

すぐに手術台に移り、病院着を脱がされた頃に「もしかしてこれは帝王切開ではないか・・?」とやっと気づく始末。背中に麻酔を打たれる準備に入っていました。

心の準備ができないまま手術開始

手術経験もなく、帝王切開の説明は逆子の時にちらっと言われたくらいだったので全く予備知識のないまま受ける手術は恐怖しかなく、また周りもなぜこれほど緊急な雰囲気を出しているのかがわからなかったため人生で一番くらい震えが止まりませんでした。

麻酔も無事に効き、耳元で「これから緊急帝王切開を開始します」との声が。ドラマでしか手術シーン見たことなかったけど、ついに帝王切開なのかとかお腹切られると痛いのかなとか縦じゃなくて横に切ってくれますようにとか、なぜ自分は何も変わったことがないのに帝王切開なんだろうと震えながらもお腹を切る覚悟を決めました。(多分その頃には切られてたが)

 

痛みなどは全く感じず、5分も経たないうちにお腹の中のものがすごく引っ張られる感覚があり、2分後くらいにはお腹がすごく軽くなった感じが。間も無く産声が聞こえ、まだ上半身はガクガク震えていましたが我が子の誕生に思わず涙しました。

 

その後胎盤や残った血液?などを吸い取られる感触があり、「今から縫合が始まるのか」と考えていると、助産師さんが産まれたての赤ちゃんを顔の近くまで連れて来てくれて、握手と、顔におでこをくっつけてくれました。びっくりするくらい温かくて、さらに涙。赤ちゃんはすぐに処置のため別室に連れて行かれ、私は10分ほどで産後の処理・縫合を終え、手術室を出ました。

 

ベッドに乗せられしばらく行くと、待っていてくれた夫と母に面会。安心してやっと震えが収まりました。そのまま病室へ。こちらも4人相部屋でしたが、最初の4人相部屋に比べるとテレビも冷蔵庫も無料だし、産後のママ部屋だし、なんだか綺麗な感じがしました。お隣の方、午前4時くらいなのにガヤガヤしてすみません。

 

夫と母が医師から手術の目的と内容の説明を聞き、事後にはなりますが手術に関する承諾書にサインしてくれていた様子。今回の手術に至った理由は、夜に赤ちゃんの心音を録った時に時々心拍が下がっていたこと、その後様子見をしていたが、通常の心拍の半分くらいに下がった状態が6分ほど続いたこと、分娩室で体の向きを変えて安静にしていると心拍が戻ったが、その後再び下がった状態が続いたので、危険だと判断し、緊急帝王切開になったとのこと。

 

何が起こったのか

それまで元気だった赤ちゃんの心拍が急に落ちた原因として考えられるのは、前日に子宮口に棒を入れて開かせる処置をしたこと、そのことが赤ちゃんに刺激となったのではないか、ということでした。あくまで私の場合であり、他に大勢計画無痛分娩をされている方がいらっしゃるので、一概にこの処置が悪いとは言えないと思いますが・・。

 

 

夫と母からこのような説明を受け、改めて異変に気づき、緊急帝王切開を行ってくださった医師、助産師の皆様と、産声をあげて産まれて来てくれた我が子に感謝。産道を通っていないので肺に羊水が残っているかも、という小児科医の説明だけ少し心配でしたが、明け方だったので一旦夫と母には戻ってもらい、私は一人病室で休むことに。

 

看護師さんがすぐ手の届くところにスマホをおいて下さったので、それまでやりとりしていた友人にはラインを送り、眠りにつきました。

 

術後6時間で水を飲み始めていいということでしたので、朝ごはんはパスだったものの、前夜21時に念の為買っておき、寝ながら飲めるストローをつけておいたペットボトルの水を飲む。冷たい水のびっくりするくらい美味しいこと、、そのまま昼食までうとうとしながら過ごしました。

昼食はお粥と焼きそばみたいな炒めた麺、野菜など。食欲はあまりなかったものの、水分だけやたらと欲していました。

 

午後の面会時間になり、夫と母が再び来てくれました。

15時ごろにはなんとか車椅子に乗り、夫と一緒に保育器に入った我が子に面会。それまでは酸素が送られていたようですが、その時にはすっかり外気と同じになっていて、助産師さんにミルクを飲ませてもらっていました。こんなにも人間らしい人間がお腹に入っていたことに驚き。

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傷口なのか、お腹の痛みはありましたが、追加で出された痛み止めの薬で想像していたよりは痛くありませんでした。すごいな薬って!

 

夕方にはベッドから立ち上がる練習。流石にこれはお腹痛かった。夫に支えてもらいながら、点滴と尿管カテーテルの容器がついた動く台につかまって、なんとか目の前の新生児室まで。ガラス越しに我が子を眺めて、歩行練習終了。翌朝からはカテーテルも取って自分でトイレ行けるとかほんとにそんなに回復するのか、という気持ち。

 

夜には食欲もだいぶ戻り、夫とおしゃべりしながらお粥をいただきました。

 

その後の入院生活は結局7日間となり、3日目からは夜間も母子同室が始まりました。噂に聞いていた通り、痛み止めを飲めば3日目にはだいぶん動けるようになり、シャワーも浴びられました。長くなりそうなので入院生活にについては別途書きます。

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この記事を書いた人

2018年〜2020年バングラデシュ帯同
コロナで帰国後2022年4月からスリランカ駐妻になりました。
南アジアで姉妹子育て中です。
バングラデシュ・スリランカの生活、駐在帯同準備、妊婦ひとり暮らし、0歳児と2人暮らし、子連れ海外旅行などについて書いています。

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